ほしのおまつり

25歳 性別無し 記録用

ウイルスは見えない

 掌より少し大きいくらいのキーボードを買って、口数が増えた旧友との再会でもしたためようとほくほくしていたら程なく例のウイルス騒ぎがあって、見えないちびっこい敵と消毒しきれない体のことばかり考えて、出勤するだけで世界を救うことはそうそうないぞと言い聞かせながら何とかあったかいご飯だけはつくっていたら、やっと過去や未来のことを考えられるようになってきた。

 12人陽性の報せをワンルームの布団の中で受けた時、これでぼくが同じ場所で暮らした誰かがきっと死んでしまう、と思って受け答えは変わらずしたけど切ってから電話の内容を全部思い出すのに15分かかって、ああこれが頭が真っ白になるというやつかと知った。

 着て脱いで消毒して着て脱いで消毒して着て脱いで消毒しているのにいつも体のどこかにウイルスがついているような気がして、アルコールも信じきれず手にまで次亜塩素酸をかけたりして、休憩室に届いた差し入れは結局食べられず,陽性利用者が隔離されたり職員の検査結果が出るまでの数日はさすがに参った。

 罹患した利用者さん達は今のところ快方、職員は全員陰性(まだ疑っている)、大切な地元は感染者0人(妖怪に守られている)、第一報に恐怖した体の震えが嘘みたいにめでたしめでたしと終わりそうだけど本当だろうか。本当にふらっと外に出られるようになったら大ぶりの海老を買って天ぷらを揚げたり、秋田にわらび座を観に行ってゆぽぽに泊まったり、せっかく伸びた髪にくるっくるにパーマをあてたりしたい。初めて入るバーでお隣さんと意気投合してちょっと飲みすぎたりしてみたい。

 今年の冬は利用者さんのうっかり嘔吐を膝で受ける事件の後しっかり腸炎をもらって、喉の渇きに耐えかねてゼリーを吸っては具合悪くするとか、枕元の洗面器に間に合わずとうとう床で戻すとか一人楽しくやっていた。あの時もあちこち洗って親の仇のように消毒しても逃げ切れなくて、二十歳越えてもちびっちゃいウイルスに勝てない人間愛おしいなあなんて今じゃ思うけど、受難中は突然都合よく神様を信じることしかできなかった。

 秋には超大型台風の夜に多摩川沿いに泊まり込みになって、水が引くまで帰らない覚悟で食料を買い込んで窓に粘着テープをベタベタ貼って、案外早く決壊したとラジオで聴きながら施設の浴室でごろごろ転がっていた。これも結局決壊してからほとんど水が増えなくて、夜が明けたらいきなりバカみたいに晴れて脱力した。

 ぼくや周りの名前のついた誰かが遠くないうち簡単に死ぬかもしれないんだ、と気付かざるを得ない出来事がこの半年は多い。ひょっとして前からそうだったかも知れないけど、どこかで誰かに守ってもらっていたからぼやぼやして見逃していた。やたらにああぼくはダメだダメだと口だけは言っていた甲斐あってか、やっと利用者さんと自分とを多少は守る側に立ったのだなあ、と思いながら(その傲慢な思い込みをよく職場で打ち砕かれながら)まずまず人並みの顔をして働いたり寝たり台所に立ったりしています。

 1人でもどこかで名前のついた人々が苦しみませんように。祈ることしかできない。無信仰ながら1番信頼している地元・三ツ石神社の神様に、リモートながらどうか届いて下さいませ。

 次は明るく、身近な神様こと旧友の話を書きたい。おわり。