ほしのおまつり

25歳 性別無し 記録用

ごはんを食べたり笑ったり

1日休みを久しぶりに元気に動けた。お惣菜を三品。掃除洗濯食器洗いにシーツも替えた。火花を読みきる、ボッコちゃんとばななさんのエッセイも少しずつ読んだ。襟足をセルフカット、三面鏡は無いから風呂場で動画を撮って具合を確認した。裸で何度もくるくる回って愉快だった。昨日奢って貰った缶コーヒーを片手にゆっくり湯船に浸かった。母に頼んでいた好きな作家のサイン本が届く。ついでに仕送りもと、小岩井クッキーに布マスクも入ってた。顎まで隠れるガーゼ地のものと、薄い浅葱色の布マスク。一筆箋と手書きの伝票は取っておいた。鱈を食べたらと名乗って大好きなラジオに初めてメールをした。まずは1通だけ。今度はハガキで送りたい。ブログも書いてる。

 

昨日は夜勤明け。ぼくがリーダーで他2人はヘルプ、コロナ疑いのおばあちゃんを気に留めつつ先輩2人には気にかけて貰いつつ、しっかりめに話すようにしてあれこれ相談しながら動いてなかなか平和に終わった。定時後はご利用者の買い物代行、自分じゃ買わないところてんや赤いきつねやもなかを両手いっぱい持って帰った。卵サンドを一口大に切ってくしゃくしゃになった。仮眠とって起きたら思ったより元気で肉うどんを食べたりした。LINEが動いて大学の友人と3人で電話。皆てんで適当でボケが渋滞して2時間半笑い転げた。必要以上に顔を見合うzoomより失言しても空気読めなくても自己主張が強くても大丈夫な気がしてずっと気楽だった。一瞬だけ意見の相違で1:2になってしまって、客観って何なんだと考えた。1:2の2だから客観ではない、主観もまた客観ではない。

 

一昨日より前は何となく頭は働かずいつでも眠たくて、1週間くらいはスマホ片手に延々転がっていた。それより前10日位はバリバリに元気で、ノート取りながら看護や接遇の勉強をした。ごく些細なことすら引き金に、ホルモンの波は行ったり来たりする。ジェンダーレス男子の日なんだと思って受け容れてだらだらしたからさほど自分に苛々しなかった。その辺りのタイミングでおばばとzoom飲み。複数zoom飲みが怖すぎて2回ぶっちぎっているから慎重にサシでデビュー、割と楽しく飲めた。距離や温度や空間を共有できない違和感がやっぱり少しはあった。地元に帰る決断をいつするかについて話した。さんさや鬼剣舞の話を真面目に聞いた。"酒に酔って良いことが一つもない"が最近の持論なのに、流れで2杯目を開けてだらだら4時間飲んだ。作り置きのお惣菜を毎日増やしたり、自分に必要なものを選んで丁寧な生活を積み上げることが、歌ったり飲んだりすることよりよっぽど価値があると最近思いがちだけれど、この2回の繋がりはあって良かった。

 

非常事態に家族・親族・愛する地元の近くにいられないこと、気持ちはあっても帰るに帰れないという事態が起こり得ること、東京に居ないと出来ないことは意外と少ない、今恋人を見つけたって地元で一緒に暮らせる見込みは薄い、先生になる準備が整わないうちに帰ったっていい、おばあちゃんの物忘れは日を追って増えている、と色々4月になって分かってきて、遠い先だと思っていたUターンは意外とすぐかもしれないなとふと気付いた。おばあちゃんとその状況がわからない自分が心配で今月2回電話した。ぼちぼち住み替えるかもと初出し情報を話したらそれまで長生きすると喜んでもらった。母親に、たまに父親にもまめにメールで近況を送ったり、本や料理の急ぎでない話をするようになった。教職の講義で母に子育て観を尋ねたとき、いつも謙遜して自分の主義主張を明文にしない人が、「子育てって待つことだよね」と一言言っていた。親の思いの半分も知らずに未だ随分待たせているから孝行しようと思う。孝行しようという義務感で帰るのではなく、その場所で暮らす事が今の自分に最良の選択で幸せなことだから帰るのだと誤解の無いよう上手に伝えたい。歳を取っていく両親に要らぬ罪悪感を持って欲しくない。

GWが始まっていたことを知らなかった。明日で4月も終わりだけど来月のシフトは明日出る。大したことは無いけれど何だかどきどきする。4月はよくごはんをつくった。仕事と4回の買い物と2回のランニング以外本当に外に出なかった。一回もお金を下ろさなかったからだいぶ貯まっていると思う。また5月に。